世界選手権 98

 世界選、見に行ってきました。金曜日のU23から見に行ったけれど、フランスの電車がストのため、1時間遅れで何とかマーストリヒトに到着。これで、12時半からのU23のレースははじめから見られるぞと思って、わくわくしていたのに、私のプレスカードが紛失したらしく、あっちやこっちに車で行かされることに。それも、私は運転しないから、乗せてくれる人の都合に合わせなくてはならない。実を言うと、今回仕事はなかったので、「そんなカードいらんから、レース見せてくれ!」と、半分いらいら。やっと、再発行する事となり、コースに戻った時には、もうU23のレースはゴール前の2周ほどだった。ぜんぜんレースの内容も分からず、U23は終わってしまった。最初の1周目にちょっと見た時、日本人選手が集団にいたので、ゴールには来るかなと思い見ていた所、日の丸ジャージが目に入った。「あー、日本人がゴールしてる!」と思った私は、すぐさま追いかけて行った。それで、各国のテントが張られている所の日本のテントにお邪魔した。

 彼は、玉木伸雄君と言って、今回4分5秒遅れの76位でゴールした。ちょっと話を伺った所、「オランダは平坦と言うイメージがあったんですけど、違いました。外国人選手達は、やっぱり強かったです。ドラえもんと一緒で、手も足も出なかったです。」と話してくれた。これからが、期待できそうな印象を持った選手だった。でも、ドラえもんかぁ。このコメントを聞いて、いかにも若者らしい答えだと思った私は、やっぱり年なのだろうか?

 彼の他にも、宮沢崇史君、高岡亮寛君が完走を果たした。これについての詳しい話は、ファンライド12月号をどうぞ。

 日曜日はスタート前、阿部さんにお会いし、スタートしてすぐ2キロほど離れたカウベルクへ向かった。雨と風がすごくて、折り畳みの傘は、全く使い物にならない。カッパ着ていて、良かった。でもカバンがずぶぬれで、中身は洗濯機にほうり込んだようになってしまった。

 必死でカウベルクに向かったが、コース横には至る所に、観客席が作られていて、道が細くなり、人が渋滞してなかなか進めない。その観客席、人がいるのならまだしも、ほとんど誰も座っていない。これは、昨日、一昨日も同じ事であった。自転車好きがこんな観客席に座るはずもなく、けちだと言われるオランダ人が、こんな所で見るはずもない。それでなくても、コースに入るには、入場料がいる所がある。このカウベルクがそうである。この日は、30ギルダー(2000円ほど)もしたそうだ。

●10時半(10時スタート)の観客席

 それでは、なぜこんなにあるのか?早い話、VIP席なのである。全部がそういう訳ではないのだが、ラボバンクと書かれた席が目立った。VIPならしょうがないかと思うが、やたらに無駄な観客席を作るよりも、もっといい方法はなかったのかと思ってしまった。あの観客席は絶対赤字に違いない。

●2時半のVIP席

 カウベルクに着いたのは2周目に入った時で、自転車ファンがわんさかいて、賑わっていた。もう人垣が、2重になっている所もあり、予想通り観戦場所確保が困難であった。良さそうな所を見つけたが、前から陣取っている人はいかにも不機嫌そうである。しょうがなく、何周か見て移動した。次に行った所は、幸いやさしい人達で、すんなり見せてもらえた。「がんばれー」と阿部さんの応援をしていると、隣のおじさんが、「日本人なのか?」と声をかけてきた。苦手な英語で「はい。」と言うと、「誰か出てるの?」って聞いてきた。「阿部って言う選手が一人出てます。」って言うと、そうかって顔してた。その後何周か、おじさんは阿部さんの姿を見つけては、「日本人いたね。」と言ってくれるようになった。

 5周目まで、集団の最後にくっついていた阿部さんだったが、6周目は見つからなかった。もしかして、遅れているのかな?と思ったけれど、日本のサポートカーが通り過ぎて行ったので、集団の真ん中にでもいて、見つからなかっただけかぁと思い、ホッとしていた。その後忘れた頃に、観客がすごい声援をあげはじめた。もしや?いや〜な予感がしたが、そうでない事を祈った。その祈りとは、裏腹に阿部さんの姿が見えた。日本人と言う事で、カウベルクに観戦しに来ている観客達は、阿部さんにものすごい声援を送り、まるでトップ選手がやって来たような盛り上がりだった。泥まみれの阿部さんは、大歓声の中通り過ぎて行った。悲しい結果だったけれど、私には感動的だった。阿部さん通り過ぎた後、隣のおじさんが、「遅れちゃったね」と声をかけてくれた。

  この後、日本から応援に来ていた女の人に会い一緒に観戦した。彼女は、国旗も持って来ていて、観戦態勢ばっちりであった。すばらしい。こいうところで、日本人のそれも女の人に会えるとは思っていなかったので、私はとてもうれしかった。7周目にはもう、阿部さんの姿はなく、日本の国旗は無念にもはずされることとなってしまった。

 ところで、阿部さんの遅れた原因は、メカトラブルかなんかだったらしい。来年は、最後まで日本の国旗がかかっていたらいいな。

 

98年10月20日作成


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